鳥の一族と玉依姫 Awa Ancient History

空と風(阿波古代史之研究)

鳥の一族と玉依姫 2 阿比良比売

f:id:awanonoraneko:20220228235338p:plain

吾平津神社 Facebookページより

 

awanonoraneko.hatenablog.com

 

前回、神武天皇妃・阿比良比売について、不可解な点を指摘しました。

彼女を祀る「国史見在社」は、阿波国板野郡 伊比良咩神社 全国一社です。

日本三代実録貞観14年11月29日乙未条(872)

授、丹波国従四位下出雲神従四位上従五位下阿当護神従五位上正六位上奄我神従五位下阿波国正六位上伊比良咩神。船尽比咩神並従五位下

 

阿比良比売」が何故「伊比良比売」なのか? 一字一音違えば別人ではないか?、と思われるでしょうが、古代において発語・第一音の「ア」と「イ」は「異音同義」。この法則は万葉集にも受け継がれ、万葉の歌を研究した仙覚律師は、その過程で各国風土記なども参照し、この事実を確認しました。


① 天竺には「阿」字を発語の詞とす。我が朝には「伊」字を発語の詞とするなり。

② 伊は発語の詞なり。 
  梵語には「阿」字を以って発語の詞と為し、和語には「伊」字を以って発語の詞と為す。

萬葉集註釈』

 

古代史をみるとき、神名・地名の頭の「音」が「ア」と「イ」は同じ、または元が同じ、と解する必要があります。伊比良比売と同様の、分かりやすいケースとして例を挙げます。「伊賀」国という国名は、伊勢国からの分離当時、その地に坐した「吾我津比売」の名が元となっています。つまり、「吾」我津比売は「伊」我津比売、と発音されていたのです。

地名でいえば、「いつ(づ)」=「あつ(づ)」、「いつ(づ)み」=「あつ(づ)み」、「いは(わ)」=「あは(わ)」、「いは(わ)み」=「あは(わ)み」、「いた」=「あた」、「いたみ」=「あたみ」、「いき」=「あき」、等々。

また名詞でも、たとえば「漁」は、古来「イサリ」とも「アサリ」とも言われました。万葉集では「伊射里(イザリ)」や「阿佐里(アサリ)」と詠まれています。

 

阿比良比売 が一体どのような女性だったのか?詳しいことは定かではありません。ただし、わかること・推測できることはあります。

このブログを読み進めることで、やがて理解されると思いますが、彼女は、たとえば、後の神武天皇が偶然見初めたとか、知己を通じて知り合ったとかの縁ではなく、縁者が設定したお見合いや、または幼なじみの可能性が極めて高い女性です。

 

古事記には

坐日向時、娶阿多之小椅君妹、名阿比良比売

とあります。

阿多之(アタの)小椅君の近親女性である、阿比良比売(アひらひめ)は、発音では、(イタの)伊比良比売(イひらひめ)であったのです。

伊比良咩神社の鎮座地は、阿波国「板野(イタの)郡」です。

ここでは説明を省略しますが、この「イタ」「アタ」とは「潮」「海」のことです。

 

阿多之小椅君(あたのをばしのきみ)に関しては、『神宮雑例集』(じんぐうぞうれいしゅう)、『皇字沙汰文』(こうのじさたぶみ)等に所載される『大同本紀』逸文に、以下の命名記があります。

 

又、皇御孫(すめみまの)命、度相神主等の先祖・天村雲命を召して、詔りたまわく

「食国(おすくに)の水は未熟にて荒水(あらみず)に在りけり。 また神財(かむたから)、毛比(もひ)、二の物忌あり。故、御祖命(みおやのみこと)の御許(みもと)に参上りて申せ」と、詔りて、登らせ奉りき。

具(つぶさ)に由を申す時、御祖命詔りたまわく、

「雑(くさぐさ)に仕へ奉らむ政(まつりごと)は行い下して在れども、水取の政は遺(のこ)りて在り。 何れの神をか下し奉らんと思いめす間に、勇をして参上(まいのぼ)り来たる」

と、詔りて、

「天忍石(あめのおしわ)の長井の水を取り持ち下り参り、八盛りに盛りて奉れ。その遺(のこ)りは、天忍水と云い、食国の水の於(うえ)に灌(そそ)ぎ和(あえ)て、御伴に天降り仕え奉る神等八十氏の諸人にも、その水を飲しめよ」と、詔りたまわく。

神財及び玉毛比等を授けられ給い参り下りて、献(たてまつ)る時、皇御孫命詔りたまわく「何れの道よりぞ参り上りしか」と、問い給(たま)う。

「申さく。大橋は皇太神、皇御孫命の天降りますを恐(かしこ)み、後の小橋よりなも参上りし」と、申せし時、皇御孫命詔りたまわく、

「後にも恐(かしこ)み仕へまつる事ぞ」と、詔りて、天村雲命(あめのむらくものみこと)、天二登命(あめのふたのぼりのみこと)、後小橋命(のちのおばしのみこと)と云う三名を負い給いき。

 

日本書紀』にみえる同一人物「吾田君小橋」については「其の火闌降命(ほのすそりのみこと)は、即ち吾田君小橋等が本祖(もとつおや)也」とあります。

「火闌降命」の別表記は「火酢芹命」(ほすせりのみこと)、古事記では「火須勢理命」(ほすせりのみこと)ですが、『日本書紀』に記される火闌降命の物語は『古事記』では、火照命(ほでりのみこと)=「海幸彦」のものとなっています。

 

阿比良比売は、阿多之小椅君「妹(いも)」、とありますが、古代の「妹」は現在の「いもうと」と同義ではなく、近親女性全般のことです。

※古代日本語においては妹は「いも」と呼び、年齢の上下に関係なく男性からみた同腹(はらから)の女を指した。女性から見た同胞の女は年上を「え」と呼び、年下は「おと」と呼んだ。これは男性から見た同胞の男に対する呼び名と同じである。また、恋人である女性や妻のことも妹(いも)と呼んだ。 ~Wikipedia

恋人や妻までも「妹」と呼ぶのは、古代氏族では同族の女性と結婚することが多く、血縁があったことによります。

 

阿比良比売」は、「天村雲命」の血筋の女性であり、この天村雲命とは「火照命(海幸彦)」である、ということです。

この天村雲命を祀る延喜式内社「天村雲神社」もまた、阿波国にのみ鎮座するのです。

 

いったい何故なのでしょうか?

そして、天村雲命とはいかなる人物なのでしょうか?